徳島簡易裁判所 昭和33年(ハ)339号 判決 1960年5月13日
原告 荒木浅子 外一名
被告 坂本寅吉
主文
被告は原告に対し金五〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三三年八月七日から支払すみまで年五分の割合の金銭の支払をせよ。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は原告において金一二、〇〇〇円の担保を供するときは仮に執行することがきる。
事 実<省略>
理由
一、(本訴の適法性)
本訴の請求原因は夫婦の扶助義務或いは婚姻費用の分担義務の履行を求めるものではなくて不当利得の返還請求である。なるほどその前提として婚姻費用の分担が問題となるのであるが、婚姻費用の分担は、当事者間に協議が調わないときの離婚による財産分与や親族扶養が家庭裁判所の定めるところによつてはじめて実体法上も定まるのと異なり、家庭裁判所の関与がなくても実体法上は一応決まる立前のものであるから、少くとも請求原因が不当利得の返還請求である以上本訴は適法である。仮にそうでないとしても、当裁判所は非訟事件である審判手続においては、権利の形成は原則として将来にむかつてのみなしうるもので、婚姻費用分担の審判においても本来の審判の範囲は審判告知時以後についてであると解するから、本件の如き過去の離婚以前の婚姻費用の分担は訴訟によつてその紛争を解決するのを本則とすべきものである。
二、(婚姻期間)
昭和二九年一一月一一日原被告が婚姻したことは争がなく、成立に争いない甲第一号証、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を綜合すれば、昭和三二年一二月二六、七日頃原被告は離婚することになつたが、被告が出頭しないので徳島家庭裁判所で調停による離婚を成立させることができなく、昭和三三年一月一四日協議上の離婚をしたことが認められる。
三、(原告の発病、療養)
原告が夫婦共同生活中の昭和三〇年二月頃肺結核と心臓性喘息にかかつたことは当事者間に争がない。
証人湯浅美代子の証言により真正に成立したものと認める甲第二、第五号証、証人荒木チヨの証言により真正に成立したものと認める甲第四号証、証人湯浅美代子、同荒木チヨ、同荒木清の各証言及び被告本人尋問の結果(但しいずれも左の認定に反する部分を除く)を綜合すれば、原告は右病気になつてからも大阪市の被告方で在宅療養をしていたが、昭和三一年一月原告の母荒木チヨが病気見舞にきて原被告と相談し、原被告だけの世帯で被告が出勤中は看護も十分できないのに被告は原告を入院させたくないというので、荒木チヨが原告をつれかえり療養さすことになり、被告も原告に送金することを約し、原告はその頃徳島市の実家に帰つたが、帰つてまもなく被告は喀血したので同月二四日から医師住友純の在宅治療をうけ、その頃この旨を被告にも連絡して七月一六日まで治療をうけたが、病状思わしくなく同医師のすすめで、被告にも連絡して同年七月二〇日小松島赤十字病院に入院し、現在まで両側肺の全肺野に結核を認め左上肺野に巨大空洞ある病身の療養を続けていること、および原告の住友医師から受けた医薬費は金四二、〇〇〇円であり、小松島赤十字病院における昭和三一年七月二〇日から原被告間に離婚の合意が成立した昭和三二年一二月二六日までの入院診療費は原告が被告及び実家の国民健康保険証を使用した関係上食費と完全看護料のみの負担となり、計金六二、五四三円(五二五日分)であることが認められる。そして右認定のような医薬費及び入院診療費合計金一〇四、五四三円は婚姻から生ずる費用にあたるものと解される。
四、(婚姻費用の分担)
成立に争ない甲第一号証証人湯浅美代子、同荒木チヨ、同荒木清、同中島松枝、同秋山万治郎の各証言、被告本人尋問の結果(但しいずれも左の認定に反する部分を除く)及び弁論の全趣旨を綜合すれば、原被告は昭二八年暮頃から交際し、昭和二九年七月一一日頃大阪市で内縁共同生活に入り、前記の如く同年一一月婚姻し、被告は印刷工として勤務して月額金一四、〇〇〇円程度の収入を得、原告は家事を担当して民家の二階で家庭生活を営んでいたが、原告は同居前に胸部をわずらつたことがあり、同居一、二か月後からそのため健康もすぐれなかつたが、外出好きの方でそれらのため家事を充分に果さない嫌があり、昭和三〇年二月頃には肺結核が再発し在宅療養をつづけていたが、前記の如く昭和三一年一月徳島市の実家に療養のため帰つたこと。原告は婚姻当時から資産、収入なく帰徳直後喀血して前記の如く事ら療養生活をつづけ、現在は国の全額医療保護で入院しながら空洞吸引術の施用等をうけたりしているが、全肺野の結核と心臓性喘息のため治癒退院の見込みたたず、昭和九年生れであるが将来退院することができても軽労働に従事するのがせいぜいで就職や再婚など考えられない状態であり、原告の実家は小さな居宅と田二反二畝、畑二畝を所有するだけで主として兄夫婦の山林日稼によつて一家八人が生活している貧しい農家である。被告は二四才のとき原告と婚姻し印刷工として昭和三〇年から同三二年頃までは月収手取り約金一四、〇〇〇円を得共同生活中はこのうち一一、〇〇〇円位を原告に与えて家計を賄わしていたが、原告帰徳後は月額七、〇〇〇円で下宿生活し、現在の月収は約金一六、〇〇〇円でまだ独身生活をつづけておるが、必要最少限の交際費小遣いは月額金二、五〇〇円程度であり、被告には婚姻当時から現在まで格別の資産はないが、親族等に送金しなけれなばらぬ必要もないこと。被告は借財をして結婚したが原告の帰徳当時もその借財が約金八〇、〇〇〇円あり、原告帰徳後原告が家庭生活のため買い掛けていた食料品、医薬代の借財が若干でてきたこと、並びに被告は原告の帰徳後金二、〇〇〇円宛二回送金しただけで扶養しなかつたので昭和三二年四月原告の兄荒木清等が大阪に原告を訪ねて原告に医療費の分担を求め、同月一九日頃被告は金二〇、〇〇〇円を原告側に交付することで離婚ということに殆ど話ができかけたが、原告側は再考の後その翌日金三〇、〇〇〇円の分担を望んだため遂に解決をみなかつたことが認められ、右認定に反する原告帰徳後の送金に関する証人荒木清の証言、被告本人尋問の結果は証人荒木チヨの証言と原告の帰徳をきいて掛買の代金取立にきたので送金をやめたという動機にてらし、昭和三二年四月一九日頃の話合いに関する証人秋山万治郎、同荒木清の各証言及び被告本人尋問の結果の各部分は原告側の出費に比較して被告の交付方申出金額が少く翌日忽ち決裂している事情にてらし信用できない。夫婦間の扶助は扶養義務者の収入の余剰額を限度とすべきものでなく、夫婦は同等の生活を保持してゆくべきものであるが、婚姻費用の分担なかんずく別居後における分担は双方の資産収入のみでなく、共同生活時の事情、双方の婚姻生活への寄与、費用の生じた事情、その他一切事情を考慮して定めるべきものであると解するから、これによつて判断すれば、被告は原告帰徳後は離婚の合意が一応できかけた昭和三二年四月一九日までは、原告において生じた婚姻費用中月額金四、〇〇〇円(原告について生じた婚姻費用が月額四、〇〇〇円以下であるときは原告の無資産無収入にてらしその全額を負担すべきである)昭和三二年四月二〇日以後は、離婚への解決が一応できかけたが原告側から決裂に導いたこと、離婚が成立しなかつたといつでも原被告の婚姻は交渉の経過、双方の愛情、原告の病状からみてこのときからはたんが明確となりあとは離婚の解決のみが残されているようにうかがわれる夫婦間の関係であること、他方被告の出捐することを約した金二〇、〇〇〇円は分担として少額すぎたのであり原告側ばかりを責めることができない事情であることなどを考慮の上月額二、〇〇〇円の婚姻費用の分担をするのが相当である。
弁論の全趣旨によれば、原告は昭和三一年一月二〇日頃帰徳の時から昭和三二年一二月二六日頃離婚の合意成立まで(昭和三二年一〇月一日離婚とは思い違いである)の原告について生じた婚姻費用の全部を本訴の医療費に集中して請求しているものと認められる。
然しながら前記認定の如く被告は原告の帰徳後間もない頃二回にわたり合計金四、〇〇〇円の婚姻費用の分担義務を履行しているので、右分担義務の未履行は昭和三一年一月二〇日から同年七月二〇日小松島赤十字入院までの住友医師からうけた医薬費について金二〇、〇〇〇円(六月分金二四、〇〇〇円から金四、〇〇〇円を差引く)右日赤病院入院中昭和三二年四月一九日までの九か月分の入院費は前記認定より日割計算すれば金三二、六四一円(二七四日分)となるからその全額(九月分金三六、〇〇〇円以内であるから)昭和三二年四月二〇日から同年一二月二六日までの八月七日分は金一六、四五二円(一か月金二、〇〇〇円の割合)以上合計金六九、〇九三円となる。
五、(不当利得)
前記認定によれば本訴の内容をなす原告の療養費は住友医師より受けた医薬費と日赤病院の入院費中食費と完全看護料であるが証人湯浅美代子、同荒木チヨの各証言及び被告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、原被告の家庭生活は昭和三一年一月二〇日頃から離婚まで、被告の生活する大阪市と原告の生活する徳島市の実家及び小松島日赤病院に別れたのであり、住友医師の治療は被告が希望し承諾した原告の実家における医薬費であり、日赤病院の入院費の内容は食費と完全看護料であつてそれらは必要にして最少限の程度のもので、婚姻中の生活において生起した以上避けることのできない直接の婚姻から生ずる費用そのものであるから、別居中のものであり且つ相当長期間のものであるけれども、原告が婚姻中治療のため住友医師、小松島赤十字病院に対して負うにいたつた医療費債務は婚姻生活中の日常の家事に関して生じた債務であるということができるものと解する。
前記認定の如く真正に成立したものと認める甲第二、第五号証証人湯浅美代子、同荒木清、同辻輝雄の各証言によれば、原告は被告が送金してくれないので療養を継続するためやむを得ず実兄荒木清から同人が原告の医療費を支払うため山林を売却して得た金や同人の賃金及び同人が訴外辻輝雄その他から借用してきてくれた金銭約一〇〇、〇〇〇円余につき右実兄から融通を受け、住友医師に対し金四二、〇〇〇円、小松島赤十字病院に対し金四〇、七六二円(これを計算すれば三四二日分即ち昭和三二年七月六日までの分となる)の支払をしていることが認められる。
そして被告は住友医師及び小松島赤十字病院に対して原告が支払つた額について連帯支払の責任を免れたことになるが、このうち被告の負担部分である金五七、七七四円(住友医師関係金二〇、〇〇〇円、昭和三二年四月一九日までの日赤分金三二、六四一円、昭和三二年四月二〇日から同年七月六日までの日赤二月一七日分金五、一三三円)については、被告は右原告の支払により利益を受け、この受益の残存は不当で被告にとつては法律上の原因ないものであり、このため原告は現に損失を受けているということがいいえられるから、右被告の負担部分について被告は不当利得していることになる。(原告が連帯債務者間の求償権を有していても不当利得の成立及びその主張をなすことは妨げられない。他方第一項後段の見解によれば、簡潔に婚姻費用分担義務の履行として償還請求するだけで足ることも考えられる。)
六、七 (被告の抗弁)<省略>
(裁判官 吉田治正)